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『「重症度」はどうですか?』について

[2025.10.23]

子どもから話しを聞き、やり取りの様子や行動を観察した後、お母さん、お父さんから生育歴、普段の様子、困っていることなどをお聞きしている。
その後、お母さん、お父さんに「発達障害と思われていますか?」とお聞きすると、ほとんどの場合、「はい」か「いいえ」での返答はない。
大部分の方はいろいろと話された後、「子どもはこんなものかな」「あってもグレーゾーンかな」などと答えられる。
お父さんについてはほぼ100%の方が「子どもはこんなもの」「妻は、気にし過ぎる」などと答えられる。


いろいろと気になることなどがあったとしても、「自分の子どもに自閉スペクトラム症やADHDがあると考えることは難しいもの」と思いながら聞いている。

お父さんが楽観的な背景として、「他の子どもがどのくらいできているのか」を知らないということもあるように感じる。

発達障害には遺伝的な要因が大きい。
自分の子どもの頃の様子を基準に、お父さんやお母さんが「自分もこんな感じだったし、子どもはこんなもの」と考えられていることもある。
そのため、診断基準に沿って、診断の根拠を説明していると「その話を聞いていると自分も診断に当てはまる」と言われることがしばしばある。

また、ママ友など周りのひとから「個人差があるから」「気にすることはない」などと言われることも背景にあるかもしれない。
いろいろな思いは分かるが、自分が逆の立場であれば同じように答えるはずだ。


診断はレッテルを貼るために行う訳ではない。
子どもは大人から受ける影響が大きい。
まずは、子どもの困った言動が必ずしもわがまま、やる気のなさや努力不足などといった類の問題ではないことを、両親や学校の先生など、関わる大人に認識してもらいたい。
そうした認識がなければ、「やればできる」や「頑張れ」などと、子どもに大きな負荷をかけ、潰してしまうことになる。
生まれ持った子どもの特性を理解してもらい、適切なサポートや配慮につなげるために、診断し、お伝えしている。

適切なサポートや配慮を行うことにより、子どもが持って生まれた能力を最大限に発揮し、自分の強みを活かしつつ、自分らしく充実した満足度の高い人生を送れることが最大の目的である。
子どもの特性の理解は、いわゆる「二次障害」も防ぐためにも、大切である。


診断を伝えると、しばしば「重症度はどうですか」と聞かれる。その気持ちは分かる。
「軽度」という答えを期待されていると思われるが、
DSM-5-TRでは、「重症度」=「要する支援レベル」である。
両親として行うべきことは重症度によって変わる訳ではない。
「重症度はあまり気にしても仕方がないです」とお答えすることが多い。

DSM-5-TRの「重症度水準」は3つに分類されている。
レベル3「非常に十分な支援を要する」
レベル2「十分な支援を要する」
レベル1「支援を要する」 
上記のレベルで答えても、「重症度」を具体的にイメージすることは難しい。
また、「重症度」を判断したり、線引きしたりする客観的な基準はない。
期待される返答内容とは異なるものとなる。


そのほかにも理由はいくつかある。

本人にとっての「重症度」と周りのひとの考える「重症度」とが異なることがある。
周りのひとが「軽度」と考えても、本人が「とても大変」「苦しい」と感じていた場合、本人の大変さや思いが尊重されるべきだと考える。
以前、「高機能型自閉症」という診断があった。知的に遅れのない自閉症の子どもに対して付けられていた診断名である。
周囲のひとから「高機能型」を都合良く解釈され、コニュニケーションや対人関係の苦手さが理解されず、本人が辛い思いをしたということがあった。
一方、周りのひとが「とても大変」「受け入れ難い」と考えても、本人が何とも思っておらず、自覚も全くないというパターンもある。


さらに、「軽度」、「中等度」や「重度」という言葉がひとり歩きする可能性がある。
ひとは聞きたい情報しか聞かず、自分の都合の良い解釈をする傾向にある。

例えば、新版K式や田中ビネーといった発達検査では、
IQやDQは精神年齢(MA)÷生活年齢(CA)×100で算出する。
精神年齢(MA)とは検査結果から算出された発達年齢である。
生活年齢(CA)は実年齢である。

発達検査や知能検査では、一般的に、軽度は51~70、中等度は36~50、重度は20~35、最重度 20未満とされている。
DSM-5-TRでは、数値だけではなく、日常生活での困り具合も考慮して、判定することとなっている。

ちなみに、小学4年生は10歳であるが、IQ 50であれば5歳(=年中)、IQ 60であれば6歳(年長) 、IQ 70であれば7歳(小学1年生)の発達(知的)レベルということである。
「うちの子どもは知的な遅れが軽度だから、努力すれば授業についていけるはず」と言うひとがいるが、現実的ではない。

また。本人のなかに、得意なことと苦手なことがあり、その差が大きい場合がある。
望ましいことではないが、「みんなと同じ」を目指す場合、総合的な検査結果の数値とは関係なく、足を引っ張るのは苦手なことであったりする。

数値で示される生来の知的水準の場合であっても、数値は重症度の判断における目安でしかない。
IQやDQは参考にはなるが、それらで全てが分かる訳ではない。
過大に評価されているように感じる。

特性の強さや社会適応の困難さは、生来の知的レベルとは異なるものである。
それぞれの特性の強さや社会適応の困難さは子どもによって異なる。
生活環境によって、特性の現れ方は異なるため、一律の基準で判断することは難しい。その意義も乏しい。


価値観や能力、得意なことや好きなことに応じて、本人のベストを尽くし、それぞれの子どもにとって、自分の強みを活かしつつ、自分らしく充実した満足度の高い人生を送れることが目標と考えている。
そのため、科学的根拠のある考え方ややり方に基づき、自分たちにできることを、できる範囲で、一日一日、行っていくことが大切となる。


インホールド・ニーバーの祈り1)を思い起こして欲しい。

主よ、
変えられないものを受け入れる心の静けさと
変えられるものを変える勇気と
その両者を見分ける英知を我に与え給え。

 

1) 聖パウロ女子修道会(女子パウロ会). “ラインホールド・ニーバーの祈り(短文)”. Laudate.  https://www.pauline.or.jp/prayingtime/vari_rein_short.php

 

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